Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

「漫画的プロファイリング」のための試み 備忘録 その8 ~ 自己肯定と自己否定

■はじめに

 最近『スキーマ療法』を読んでいる。既に「療法」に関する部分に移ってきており、人間の特に心の「モデル」を考える部分を過ぎている。またそれとは、無関係にちょっと着想が降りてきた(笑)ので、今回はそっちを中心に考えをまとめてみる。自分の思索に関する備忘、ノート、なので、とりとめないのはご容赦いただきたい。

 

■自己肯定出来ている人、したい人 

 人間をまず分類するなら、「自分を肯定出来ている人」と「自分を肯定したいけど出来てない人」に分類できると思う。この発想自体は自分の中で新しいものではないが、ついこの間まで失念しており、今回『スキーマ療法』を読んでいる最中に思い出した。そして、心の学問に関心を持って学んでいる人にも目新しい着想ではないと思う。

 そもそも自分が何かを行うとして間違っていると思って行う人間はいないだろう。もっと言葉を尽くすなら、間違った行い、間違っていると思って行う行いにも、妥当性だとか、仕方ないから、他に方法がない。といった行為を正当化する理由を付加するだろう。

 例えば、「間違っているが、上司の判断だから行う」という態度の場合、上司の判断に従うのは正当性があるとみなしているので、ジレンマを感じつつ実行する。何らかの理由で行動を肯定しているので実行するのである。自身、自我、行いに対する「肯定」の問題もたぶん筆を尽くせば再現がないので、ここでは何かしらの「肯定」が脳内であるので、人間は活動を行うものと考える。なので最初の「自分を肯定出来ている人」と「自分を肯定したいけど出来てない人」に分類できる。という着想が重要になる。

 

■自己肯定のアプローチ(戦略)

 人が自己を肯定する手段について考えたい。「自分を肯定出来ている人」は一旦横に置いておいて、「自分を肯定したいけど出来てない人」を問題にする。こちらの方が普段日常的に見かけやすいのだ。「自分を肯定したいけど出来ていない人」はあの手、この手で自分を肯定しようと、心の安定を図る。大きく自己による肯定と他者による肯定に分けられる。次に幾つかの思いつくものを列挙する。

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 一つ目は「他者に承認を求める」これは友人の共感を得たり、親に褒められたり、恋人と愛を語らうのも含まれるだろう。そういった形の自己肯定のアプローチ(戦略)だ。

 二つ目は自分の行動や思想の正当性を論理武装する。論理的に自分に誤りはないと説明しうるよう図る

 三つ目は他人を批判、避難することで相対的に自己を浮かび上がらせる事。

 四つ目は感性や感情によって肯定する。これは「快/不快」に頼るわけなので一見シンプルだが、内実複合的であると思う。

 五つ目は別の指針を持つことだ。何かしら自己の行いの結果を判断する基準を持って行動の結果を積み重ね、それを測る。手続きや手順の順当性や、得られた金銭、社会的地位まで様々だが、他の四つより知性の社会適応度の高い基準だと思う。

 

 無論、僕は趣味で思索している素人なので、これらの抜き出しや分類は良く練られたものではない。他にもたくさんの種類があるだろう。運動で脳内ホルモンを定期的に分泌するのも含んでいいのかもしれない。だとすると心の中に自己肯定の仕組みを内在化するか、生活習慣に自己肯定の仕組みを内在化するかという観点が出せる。

 

■フラストレーション&ストレス
 フラストレーションは自己肯定の真逆に心に作用すると思われる。心や身体に蓄積した疲れは、心の落ち込みと混同されやすいはずだ。

 高いフラストレーションに耐えるには高く潜在的な肯定が必要だろう。無論フラストレーション自体を何かしらの憂さ晴らしで取り除くことも可能だ。定期的に解消することで、自己肯定感を取り戻すことが出来る。

 なにもかも一文ですませるなら、簡単に言えば、ストレスが溜まると憂さ晴らしが必要となる。憂さ晴らしは自己肯定の生活習慣化であろう。

 

 

■思いつくままに

 実はここまで考えて、自己肯定とストレス(自己否定)を幾つかの領域に分けれるのではないかと考えていたので、冒頭で『スキーマ療法』を読んでいることに触れた。
  

 さて『スキーマ療法』 P24 から 中核的感情欲求スキーマ領域の対比5種を引用する。 

1.他者との安全なアタッチメント ↔ 断絶と拒絶
2.自律性、有用性、自己同一性の感覚 ↔  自律性と行動の損傷
3.正当な欲求と感情を表現する自由 ↔ 他者への追従
4.自発性と遊びの感覚 ↔ 過剰警戒と抑制
5.現実的な制約と自己制御 ↔ 制約の欠如

 僕は一旦、これら5つの欲求(とそれらの欠損)とその下に分類される「早期欠陥スキーマ」を「自己の肯定」と「否定」で、理解が深まらないか考えている。

「肯定/否定」に関して考えると、幼い方がより内在化しやすいのだろう。それが「早期欠陥スキーマ」という形を取るんじゃないかと。