Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

「漫画的プロファイリング」のための試み 備忘録 その3

■漫画的プロファイリング

 このお題目で、どういうモノをイメージするだろう。僕が思い出すのは、最近だと、アニメ、PSYCHO-PASSの雑賀譲二教授だ。彼は自宅を訪れたヒロイン、常守朱のプロフィールかなり詳細に言い当てる。一見してここまで分かるものなのなのかと驚く。

 まぁアニメであるのでそんな事が出来る人がいるという論拠では当然はない。しかし、何度か会ううちに、何度か会話する中から、より多く、相手の情報を知る事が出来ないものか。より深く相手を知れないものか。これは多かれ少なかれ思うことだ。この時、相手の心のうちや、相手の生活、それ以上の何か、まで推論できないだろうか? 改めて説明すると、その足掛かりを探す思索を晒すのがこの備忘だ。

 服装も現型モデルなら、話し方、選ばれる話題や態度、会話に対する反応も現型モデルである。ここからの、雰囲気や、振る舞いにより、その人の人物像を形成することは、普段から誰しも意識的にしろ無意識的にしろ行っていることだ。ただ、これから、なんの段階も踏まずに心の全体像を想像するのはどうか。それを人物像として、好き嫌いを論じて終わる。それもいいが、その先に僕は関心がある。

 

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防衛機制

 ここからは、具体的に、既存の精神に関係する学問を引きながら、考えるべきと思うので、今後、筆が遅くなるかもしれない。。とりあえず、余り具体的ではないが、例を出そう。意外と回りの友人には、話した内容に対する応答を、否定から行う人間が多い。

この反応の解釈も様々である。信頼されていない。相手が防衛機制を示している。防衛機制とすると、自分個人に対する反応なのか、自分のような(受け答えをする人間に対する)反応なのか、あるいは、誰にでもなのだろうか。 彼がストレスフルな時とそうでない時で、その防衛機制にどの程度の差があるのか。

また、多分、信頼されていないので、否定的な返答をするのも、防衛機制であると思われる。これは間違った情報を信じないための防衛機制だろう。

 何にせよ、コミュニケーションに関係する何かしらの課題に対して、防衛機制による否定を働かせる。という適応が過去にあり、現在も「現型モデル」として引き合いに出されてるということだと思う。この背景には、この「現型モデル」に頼る無意識的な背景が存在するだろう。

 

自我と防衛機制 (1982年) (アンナ・フロイト著作集〈第2巻〉)

自我と防衛機制 (1982年) (アンナ・フロイト著作集〈第2巻〉)

 

 

■「傾向(仮)」

 ここまで来て、人の行動や反応がどのような一貫性に基づいてるか着眼できないかと思いつく。

 例えば、相手の発言に対して、否定から入る人間。彼の反応は何かしらの防衛機制と考えた場合、一貫して読み解けないだろうか? 積極的行動も裏にあるのは防衛かもしれない。何かに積極的に取り組むあの人の行動の一貫性は、承認欲求によるものではないか? いつも周りに人の絶えないあの人の反応は、絶えず相手への承認として読み解けないか?

 もちろん、統合的にそれらを使い分けている場合も想定できるだろう。仮に「交流傾向」とすると、人対人のソレに限定したイメージを与えすぎるので、それを「傾向(仮)」として括ろう。

 ブログのエントリーとして、それを扱う量や頻度がどの程度になるかは分からないが、成長において段階的に発生する「課題」それに対する対応として生まれた「傾向(仮)」が「現型モデル」を形作るわけだ。

 

■追記

 「傾向(仮)」の種類には、経済学における、経済人、社会人、自己実現、複雑人、経営人からも拾ってこれそうな気がしてる。これに防衛機制、承認欲求、と連想したものを列挙してみる。「傾向(仮)」になりうるものを探すのは、よいアプローチかもしれない。