ビルのエントランス。自販機で買ったペットボトルのミネラルウォータ。それを片手に外にでる。そのまま左手を持ち上げると、視界の隅に時刻が表示された。16時。9月に入って1日目。残暑というには十二分に蒸し暑い。橋田との会話を思い返しながら、地下鉄に向かう。
成長する義体。赤ん坊から幼児へと体形が自然に変化するのは子供の特に脳の発達に良いかもしれない。親にとっては重要な肝心事項よね。
小まめに買い替えなければ、急に背が伸びたりして、学校では目立つわ。でも、赤ん坊から大人まで成長する義体を作らなくても、成長期の身長幅を可変できると、義体の変更は少なくて済む。急に背が伸びたりせずに、自然に友人の中に溶け込める。これは思春期の子供のアイデンティティには重要な問題だわ。
アリスの母、春香の勤め先が変わらなければ、今もノヴァーリス・システムなのだろう。吉川社長は収益をそこに依存していため、契約を切られて倒産。その経過の中で夫婦中が悪くなる。取引先が憎くて、妻まで憎くなるものだろうか。そんな男なら、私は耐えられないわね。でもそんな父親だったらあんなには・・・。
思考があれこれ飛ぶ中、コンタクト・リストのアイコンの横に新たに1と文字が現れ、2、3と増えて止まる。タップして開くと、今、届いたばかりのアリスからメッセージが表示された。
〔エリカさん、少し前、友人が帰りました〕
〔母も出勤しましたし、そちらに伺えます〕
〔今、大丈夫でしたら、折り返し連絡ください〕
父親に会いたい。会えるかもしれない。急くのもわからなくはないわね。そんな事をぼんやり思いながら、考えた言葉を文字にする。
〔今なら大丈夫よ。移動しながらでもいい?〕
地下鉄に繋がる出入口で、邪魔にならないよう脇に立ってから送る。折り返しで、着信。
<お母さん、変な時間に出社されるのね>
<最近、いろいろ不規則な時間に出社します。帰りも早かったり、遅かったり>
私はそれ以上聞かなった。彼女の関心は当然捜査の進捗にあった。銀座線の車中で、橋田が二週間前に新宿で会っていることを話す。
<よかった。父が無事で>
心底安心した様子だった。
<会社を一つぐらい、潰しても死にやしないわよ。最悪、自己破産すればいいんだもの>
<私馬鹿ですよね。借金の取り立てに、ヤクザに臓器を売らされたりしてないか不安で>
アリスは苦笑いする。
<そんな漫画みたいな事、ある訳ないじゃない>
私は笑いながら、そう応じた。
<実は、不法に滞在する女性と結婚させられたりとか、新薬の検体のアルバイトとかして大変なことになってないかとか、色んなこと考えちゃって>
<平気よ、平気。そんな心配ないわ>
実際にどうかは判断しかねたが。そこまで心配しても仕方ない。橋田は健康そうではあったと言っていたので、それを伝える。それでアリスはまた落ち着きを取り戻した。神田で中央線に乗り換えた時、ふと漏らした。
<父のことが好きです。ちょっと異常でしょうか。こんなに心配しているのは>
<そんなことないと思うわ。ただ一人のお父さんですもの>
正直、私は自分の父が嫌いだ。だが、羨ましかった。
<私、今でも夢に見るんです。父と行った「ひまわりの花畑まつり」。ポニーに乗ったり、笠懸を見たりしました。楽しい一日でした。あの日、ひまわり畑で、かくれんぼをして、父が見つからず泣き出したことを思い出します。あの時はもう一生、会えないんじゃないかと不安でした>
<群馬の方よね。私も行ったことがあるわ>
そう言って、少し間をあけて尋ねる。
<明日は新宿で聞き込みをするわ、お父さんの写真を貰える?>
<実は母が最近、私の持ってるものを含めて、父の写真を処分してしまって>
<処分?>
<預かるだけだと言うんですが、今もってる写真を一度削除させられて>
<母に気付かれないように隠してあるのを、今晩、お持ちします。いいですか? それで?>
どうもこうも、写真なんて、拡張現実で所持するものだ。それを母から隠すなんて、自分の持ち物入れを覗いて、監視して、勝手に写真を削除でもしているような話に違和感を覚えた。
<いいわ。お願いね>
けれど、それだけ答えた。アリスが去った電車の中で、今朝見た夢を思いだした。父の膝に座っていた頃を。失踪する前に二人で行った、ひまわりの花園を。彼女はあの頃の私のように父親が好きなのだろう。それは不幸なことか、幸福なことか。些末なことか。
2016/09/17 初版公開
2016/10/10 改 訂 誤字対応 沢山シャボン → 沢山のシャボン
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こらえきれず、リンク張ろうかと思ったけど、Youtubeにもこの曲上がってない orz
↓「la fluer du soleil (ひまわり)」収録CD