Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

ラズパイの取り組み&執筆の幕間

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

 

 

■土曜日 ラズパイの取り組み

 日が天中を過ぎた頃に起きだして、昼食にカレーを食べ終わり。セカンドライフに入ったりしたほか、何をしたかさっぱり記憶になく。とはいえ「ライ麦畑でつかまえて」も少し読み進め。菓子をつまみ。18時頃から、Raspberry Pi3 と格闘。幾つかのログをGoogle DriveにCronでアップロードするように設定。出先からログを眺めれるって訳です。これに4時間かかっています。

 「grive」を導入することで実現しようとしていたのですが、ちゃんと設定しても現状うまく行きません。ソースを変える必要があるように感じました。あきらめてググり直し。「rclone」を利用。設定もすんなり行き、Bash の Shellスクリプトを書いてうまい具合に設定できました。

 夜はセカンドライフで、九龍SIMでファイアの日のイブに参加して終えました。翌朝もラズパイにMPDをインストールしてから出かけたり。こういう試行錯誤はすごい好きなんですよね。

blog.supersonico.info

 

■日曜日 執筆の幕間。

 スポーツクラブで、ひとっ風呂。から「昭和元禄落語心中」を見ながら、間、途中退館して食事。リカベント・バイクを計2時間。12話まで視聴を終え、シャワーを浴び。茶飲み友達とお茶して今帰宅。最終話13話を今見ました。本日中に仕上がるかわからないのでこの日記を書き、これからシーン4の執筆にかかろうかと思っています。いや「語る」ことの業を思い出させてくれますね「昭和元禄落語心中

 さて、小説の執筆、いくつか問題があります。以前ならもっと多分「地の文」で一人称の語りをうまくかけたのではないかと思うのですが、やはり、「主人公の語りの文が足りない増やすべきじゃないか」と意見を貰い。もっともだとも思いつつ。 考えてみますと、一人称小説における「語り」ってそこを十分に書いてしまうと、 小説の「筋」とならんでもうひとつの最重要ファクタになってしまうことに気づきました。

「それは「(臨床)哲学的」で「心理学的」な問題であり、
 それに基づく主人公の振る舞いが
 筋に影響をあたえる。場合によっては「社会学的考察」へと
 筋をつなげていく説得力もたせないとならんじゃないか(汗」

 地の文足りえる「語り」というのは「あたりまえ」のことを朗々と述べてる訳にはいかないモノです。「語る」だけ特徴のあることで有らざるを得ない。「語り」が特徴を失う時。つまり「語る」必要がなくなった時。話が終わる。その後はまた「別の物語」。それが「一人称の語り」を持つ「本来かくあるべき性質」なのです。その特徴と語りが、作品各シーンの行き先を決める。当然さらに先の筋道も決めていく。自分がエリカの「語り」をある程度以上、書けない理由が自分の中で明白になった瞬間でありました。シーン4で対応できるか不明ですが、精進いたします。

 

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)