Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

「漫画的プロファイリング」のための試み 備忘録 その5 ~関連した思索 2017年5月~

はじめに

 最近、考えた関連した思索に関してブログに記載してみる。前回4と今回5の後にセルフ・ブレインストーミングで思いつきをメモした記述があるが、それは記事にならないかも。

 

防衛機制(合理化)

 防衛規制による、合理化について頭をよぎる。不安を感じた時、自己を正当化する「正しい」考えを立てるのは、その正統性や有用性とは別に一旦、合理化とすべきだろう。合理化と知性化が、その方向性が似ているのではという疑問で、論じたり文章にあたるのは今度にする。

 不安に対する防衛規制が働いているとうのは、ある程度以上、繰り返しその不安に晒されてる。その防衛規制を働かせなければならない循環に身を置いていると解釈できまいか? 無論、それは、例えば過去の強烈な経験を思い出すからかも知れない。そもそも想像力豊かで、考えられるリスクを毎回想像するからかもしれない。具体的対象方法のあまり少ないストレスに対して人は理由をつけて解釈を試みるだろう。

 なんにせよ、やっぱり、防衛規制は暗記すべき事項の筆頭だと思う。一つ一つのストレスに対して人が取りそうな行動を分類できるという点において、人間観察に重要な働きをするだろう。

 

人間とは何か?

f:id:multiplechoice:20170527201647j:plain

 生命とは、摂食をすることで、自己保存する。例えば動物は、摂食と探食を繰り返す。プロセスをもう一つ付け加えて、まとめるなら、摂食と探食と自己保存の循環が続く限り存在し、破綻した場合に失われる存在である。そして徐々に破綻して行くワケだ。仮にこのような前提で生命を捉えよう。

 加えて、現在、自己、あるいは人間を定義する必要を感じている。そこで、過去なら自分とは精神であるとしたところを、第一次自己を精神、第二次自己を肉体。さらには、自己の循環に欠かせないこの外の存在を、第三次自己、第四次自己として規定、想定しようと思う。今この観点から考えているのは、第一次自己は、第二次自己に存在を依存する。第二次自己は、第三に、第三は、第四次自己に依存する。そんなイメージだ。

 私は、最初の前提から、生命であるため自己とは循環により支えられるという立場に立ち、層なす自己という次の想定に当てはめて、人間の理解。あるいはモデル化を試みる。人間とは何か? というわけだ。このモデルを求めるのは、自己の定義、人間のモデル化、に加え、漫画的プロファイルの可能性を夢見てのものである。この試みのためにはカナリしっかりした、「人間」のイメージを持って、肉付けしていく必要を感じている。

 ここで個人的に思い出しておきたいのが、中学生の頃に規定した「自分」とはなにかだ。その時の定義は「自分が直面した問題とその解答の集積と順番こそが自己である」というものだ。今回の「自分」の定義が現時点の環境との関係や構造に重きが置かれているのに対して、過去のそれは定義が過去から未来に進む同一性の中で自己を特徴づけるものである点は分析的に捉えてもいいかもしれない。

 ひょっとしたら、今は僕の「意識状態」は刹那的なのかもしれない。未来に希望も持ってるし夢もあるのだが、まぁここでいう「刹那的」っぽさ、というのは、思想や生活態度でいう「刹那的」とは違うだろう。