「よくこちらがお分かりになりましたね」
吉川夏雄は、私と格闘した野沢を一脚だけある椅子に座らせると、傷の消毒を済ませ、背中に近くで買ってきた湿布を張りながら言った。狭い部屋に匂いが充満する。
レナは壁に寄りかかり、いつもの調子で本を読み始めた。三人で一瞬、顔を見合わせた。グリレはAIらしく人間同士の会話には割り込まないつもりの様子だ。隠れて出てこない。
「橋田さんから、アダプタを着けない貴方と、新宿で会ったと聞きました」
私は立ったまま話を始めた。
「野沢くん、これでいい。服を下ろしなさい」
男は言われるまま、出していた背中を隠す。
「彼の着ている服が、新宿に店を構えるファスト・ファッションのモノだけでしたので、この為に揃えられたのだろうと考えました」
「それで、この為に服を新調したのなら、普段は少し特徴のある服を着ている。そこで容貌から、接客業(ホスト)を想定して歌舞伎町近辺を探していました」
「野沢くんとは何処で会いました?」
「昨晩、路地の暗がりで脅されました」
「さっきも驚いたけど、君、そんなことまで頼まれてたんだね」
男はうつむいた。
「彼は、貴方の見立てた通りの生業をしてたんだが、肝臓をやってね。医師に酒を禁止されてる。儲かるようで、衣装代なんかの持ち出しで、貯金も少ない。一月、二月と生活できなくなってきて、仕事で知り合った男に頼まれたのが、私との同居と監視と言うわけだよ。それで良かったね」
「にしては、随分、射撃がお上手でしたよね」
私が男に尋ねると、不服そうな顔で口を開かない。吉川が説明する。
「大学時代は射撃部だったそうですよ。建前上、私はここに、匿って貰ってることになってる。借金取りから身を隠す必要も合ってね。経緯を聞くと君たちはそうではないようだけど、何の用で私を探していらしたのかな?」
「吉川さん、こいつら取り立てで、あんたを探してたんじゃないのかい?」
「どうやら、違うようだよ」
「正式な依頼は、神崎先生に頂きました。廃業の後、連絡が取れず、心配されていました」
「ほう、懐かしい名前を聞いた。彼がね」
「元々は、お嬢さんに頼まれたんです。先生も、それを後押しして下さる形で…。」
「そういえば、彼は学生時代から、情には厚かったな。ユニークな男でね」
吉川の眉が一瞬あがって、そう答える。
「その辺、お変わりないと思います」
「神崎には、私から連絡をしておくよ」
「娘さんには会って頂けませんか? お二人で食事頂けるように、今晩、MSビルの蓬莱酒楼を予約してあります」
途端表情が暗くなる。
「残念ながら、会う訳には行きません」
「随分と心配されてましたよ」
「無事である旨伝えて欲しい」
「そう仰らず。娘さんは、貴方を恋しがってます」
「申し訳ないが、これで、帰って貰えませんかね。アリスの事で、お話出来ることは無いんです。神崎には連絡しておきますから」
これじゃあ、ラチがあかない。上手くすると喋ってくれるそんな確信もあり、「まどろっこしい、キレてやれ」と言うイラつく気持ちに乗ってみた。
「離れ離れになって、長いこと顔も見てない父を慕う気持ちも汲めないって訳! あんたそれでも親なの!? 人の子なの?? なんなの、子供の為とか言い訳して自分勝手に相手の気持ちを推し量ってないって言える?!」
最後のは当て推量で言葉を放り込んだ。内実子供を思ってる親の急所なはずだ。
「私だって、会いたくない訳じゃ無い」
ため息をついてから、そう口にする吉川の声にビブラートがかかる。そして俯く。
「じゃあ、どうして」
部屋を沈黙が満たす。ゆっくりと吉川はつぶやくように喋り始めた。
「娘のためなんだ。彼女が、再び陽の光を浴びて、大地を踏みしめるためには、富岡の融資を受けて、再び
「義体化の手術を受けるのが、そんなに大袈裟なことになるんですか?」
私は静かに尋ねる。
「娘に必要なのは、義体だけじゃ無い。今の法律では、人権が認められるかが争点になるだろう。娘は体だけじゃなく、脳も失ってしまってるんだ。意識だけなんだよ、この世に繋ぎ止めることが出来たのは!!」
「じゃあ、アリスは!?」
「今の娘は、妻の研究のため、デジタイズされた記憶のコピーなんです。それも特別なハードがないと意識を保てない」
「本人は、それを知ってるんですか!?」
「知りません。F 型免疫不全症を理由に外出を制限されて自宅で生活してると思ってます。特別あつらえの
両手で顔を覆い下を向く。野沢が口を開いた。
「吉川さん、俺は、アンタが、指定された人物に会わないか、出歩くのを付いて歩き、アダプタを使わせないようにも監視してた。それもこれも、新しく事業をおこすまでに、法律関係や、借金取りとのゴタゴタなんかの、リスクから遠のけておくためだと聞いてた。だけど、それだけじゃ無いんだな。やっぱり」
そんな話、信じてたらとんだエアヘッドだ。
「娘さんにあってやんなよ。富岡の野郎、俺が馬鹿だから、素直に言われた通りにすると思ってるんだろうけど、あんたが娘と合うのを見なかったことにぐらい出来るぜ。あんたが約束されてる借金の肩代わりや、融資話も残るって寸法だ」
「私も賛成です。ログが残らない用に予備のアダプタをこちらで用意しますから」
吉川は、感極まったのか、唐突に嗚咽を漏らした。さっきまでとは別人のようだった。遠くから、ひぐらしのなく声が聞こえてきた。
2017/01/22 初版公開
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