Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

第二話 長いお別れ シーン10 幸せの準備

 坂口春香は、娘が友人とした会話をログで追い。幸い、気付かれてはいないことに安堵した。吉川が家を出てから、アリスは反抗的で、不安定だったし、落ち着いて言うことを聞くようになったと思えば、心を閉ざして演技しているように思う。流石にそれを感じない母親はいまい。
 拡張現実アストラルに合成されるウインドウで確認するが、ここ数週間、脳内ホルモンの分泌率や、バイタルの値には特に問題はないように思う。慎重に事を進めてきたが、ここで気付かれては元も子もない。

「あの子にはまだ、父が必要なのね」

 思いを巡らせてそう結論付けた。ノックの音で我に返り、とびっきりの声で答える。

「どうぞ、お入りになって」

 椅子を回転させて、入ってきた男を熱のこもった視線で、研究室に迎えた。

「お邪魔するよ」

 中央に来客用のソファーセット。執務机と椅子の他は業務用のコンピュータが数台、無造作に積み重ねられたこの部屋。扉を静かに開けて、仕立てのスーツを着た手足の長い白髪の男性が入って来る。知的な笑み。落ち着いた足取りで春香に歩み寄る。いまでは、春香の理想のオトコだ。吉川との生活が破綻をしはじめ、研究に支障すら出てきたとき、支えてくれたのだ。
 この研究テーマは、大学時代から春香が温めてきたものだ。だが今ではすべて娘の為。ただそれだけだ。多くのことを犠牲にした、吉川も、そのひとつに過ぎない。

「遅かったですのね。富岡専務」

「二人っきりだ。他人行儀はやめてくれ」

 彼は屈みこんで顔を覗いて、春香のあらゆるところに触れた手を首の後ろに回して、長い口づけをする。

 唇が離れる。心地よい沈黙の後に彼は言う。

「私の娘になる彼女の件は順調かな」

「ええ、さっき記憶領域のマッピングを開始したわ。意識を停止しないで、行うので時間が掛かるわ。明日の20時頃になると思う。その間に、吉川の顔を見られるのは記憶に齟齬が出る可能性があるので事前に預かってあるし、さっきからアダプタ適合機も故障させてある」

「お互いまた、休日出勤になる」

 ひと呼吸あって言う。

「でも、かわいい娘のためだ仕方ないね」

 彼は優しく微笑む。

「あの子にはまだ、父親が必要だわ。相応しいのは、貴方だけよ」

「ありがとう、光栄だよ」


「最初は、社の利益だけを考えていた。人間の脳をシュミレーションするプロセッサ。すばらしいじゃないか。だけど、今回は純粋に、君と彼女の幸せにために、電子化した記憶を書き換える研究にも予算を付けたよ。そもそもが違法な研究と知ってね。それもこれも、君と娘のためだ」

「二人で、あの子を物理現実に生き返らせて、三人で家族になるのよ」

 結局、才知と情熱の塊であるが故に純粋すぎる春香には分かってなかったのだ。富岡がそういった気持ちにこれっぽっちの重みを感じずに利用して今の地位まで登ってきたような人間であることを。

 そんな事に気付かず、彼女は考えた。今、F型免疫不全症を理由に、娘を閉じ込めているマンションが、仮想現実コーザルであることを本人に気付かれる前に何もかも済ませてしまわないとならないと。そして、太一を思い出した春香は、富岡に尋ねた。


「昼間話した、探偵の方は大丈夫?」

 不安になる。三人の幸せな未来までもう少しだというのに。

「彼は、身動きとれないだろう。未成年の依頼を受ければ営業停止は免れない」

「だといいけど」

「そこに出入りする小娘が嗅ぎまわってるらしいが、そちらは、吉川に付けた男が処理してくれる手筈だ」

 その言葉を信じて、春香は立ち上がり、富岡に身を預けた。


◇ ◇ ◇ 


 私は、探偵社に向かった。なんとなく分ってた。新宿でメトロを降りてからだと思う。尾行を疑っている相手には、よっぽど上手くやらないと必ず気付かれる。試してみるといい。街中で前の相手の背中を真剣に凝視すると、多くの場合、振り返る。そうなれば撒かれる。そう言ったのは、うちの所長である不良老人だ。
 
 既に18時だった。歩いてる間に日が暮れる。それなら誘いやすいかもしれない。そのアイデアに唾を飲んで、右手で左腕を握りしめた。さすがに緊張する。日が落ちた頃に、西武新宿駅のあたりで、右に折れた。飲み屋が点在するが、人取りも少ない暗い路地だ。まっすぐ行けば、東宝ビルがある。そこまで行けば明るい。これで襲ってくる確率は高まったはずだ。尾行は思いすごしであるなら、それはそれでいいだろう。

 視界の端の拡張現実アストラルで合成されたアプリ一覧。そこでメタリックのアイコンが明滅する。クアンタム・アシストだ。迷わずタップした。視界に半透明のウインドウが表示され〔非殺傷戦闘のアシストを開始します〕と表示された。イザというときは人通りの多い所まで逃げるつもりで、私はコレをあてにしてた。一安心だ。

 続いて〔情緒補正実施〕と表示される。頭に血が上り気味であったけれど、鼓動が安定して、冷静になる自分を自覚する。なにも無い空間に人型を縁取ったマーカーが表示される。スニークアプリを利用している様子だ。〔非殺傷―先制:勝率90%〕と出ていたが、私は声を掛けた。

「出て来たらどう? 尾行してるのは分かってるのよ」

 一瞬、勝率は70%まで下がった。一度使っただけで、コレを信じ切っている自分に気付いて、この状況は良いのかとふと自問しかけて、やめた。そんな場合じゃない。

「怖いもの知らずだな。場数を踏んでいるようには見えないが」

 返事が返ってきた。スニークを解いたらしい。男の姿が見え始めた。背は170センチほどか、どちらかと言うと痩せていて、ファスト・ファッションで買えるようなシャレてはいる紺のジーンズと、暗めのシャツだ。アダプタは見えない。最近出てきた色を調整できるタイプだろうか。こんな仕事をする人間にしては、意外と上品な優男に見える。美形と言ってもいい。褒めるか貶すか、からかうのにどっちらが適切だろう。

 相手は右手に拳銃を握っていたが、勝率は80%。アシストのガイドによると、硬質ゴム弾とある。

「なんの、ご用事? 顔に自信があるからと言っても、女性を口説くにしては上手いやり方じゃないわよ」

 男は口から笑い声を漏らして言う。

「お前みたいな青臭いガキが、馬鹿なこと言うな。ちょっと腕っぷしに自信があるからって、調子にのるなよ。この弾が喰らいたいか?」

 容姿を褒めたのにそう言うのね。空気の読めない男だ。気の利いた会話にならないじゃない。だけど年齢がばれてるのはショックだ。C大の学生は自分と同じ年頃と思っていてくれたのに。どうせマナーは守らず物理現実フィジカルも見てるわよね。拡張現実アストラルで重ねたスーツの下の私服が高校生らしいものだから、仕方ない。

「容姿の割に、頭は空っぽのようね。セリフが安っぽいわよ。雑魚みたい」

 左前に一歩踏み出そうとしたが、私の意思とは裏腹に、体が動かない。逆らうことはできるが、ここは、アシストに従うことにした。破裂音がして、ゴム弾が左脇腹を掠めてく。射撃の腕は確かなようだ。

「次は当てる。内臓を道端にばら撒きたいか?」

 ゴム弾にそんな威力はない。相手は脅しを掛けたいだけだ。だが、倒した後、拘束できるだろうか、逃げられて、警戒を強められては困ることに気が回った。以前、不良老人が持ってた、結束バンドを思い出して内心舌打ちした。

「今の依頼から手を引け」

 私もそれなりの顔をしていたに違いない。脅しが効いたと思ったようだ。

「分かったわ」

 心中、煮えくり返ったが、油断させるためにそう答えた。男は再び暗闇に掻き消えた。

 

 

 


 2016/10/10 初版公開

 

 

 

 

 

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