「まぁ、娘の遺伝子をデザインしてやれるなら、それはそうか」
俺は腰を庇って曲げながら、高級そうなタワーマンションを見上げ、自分でも器用と思うような姿勢で呟いた。
あの後、道中、流石に揺れる電車の中で立ったままでいるのはリスクだった。なので、どうにかシートに腰を下ろして、山手線で品川まで来た。だが、受けたわけでもない依頼と、ボランティアで人を探すという酔狂なガキのために、俺までタダ働きしてる。痛む腰で。何とも、らしくない話だ。
依頼のメールにあった住所は品川駅の北、山手線の内側を線路に沿って通る片側三車線の国道15号を北に歩いた道路沿いだ。オフィスビルが多く並ぶが、一本道を入るとマンションやシャレた住宅の多い地域でもある。
11階の16号室だそうだが、1階の自動ドアをくぐってエントランスホールより中に入るには認証が必要なようだ。天井は30センチ角のパネルが張られ、一枚の色がわずかに違う。生体認証に使うセンサーが収められているのだろう。左右を見回すと、
階と部屋番号を続けて押と、チャイムの音が響く。相手先の名前が坂口と出る。一瞬間違ったかと思ったが母親の旧姓だろう。少し間を置いて返事があった。
<はい、どちら様ですか?>
<私は新宿にある、探偵社の所長で文月太一と申します>
<探偵さんが何の御用ですか?>
当然だが、用はないと言いたげな雰囲気だ。
<娘さんのご依頼の件でお伺いしました>
<私に子供はいません。何方かとお間違えでは?>
<失礼ですが、アリスさんという中学生ぐらいの娘さんはいらっしゃいませんか?>
<その子供さんがどうされましたか?>
<いえ、お断りしたんですが、当社に人探しを依頼されましてね。親御さんにご報告しない訳にも行かないと思いましてお訪ねした次第です>
<……………>
<いえ、ご存じないなら、それで結構です。お騒がせしました>
再び沈黙。流石にそろそろインターフォンが切られる頃合いだ。そう思ったら返事があった。
<アリスは私の娘です。お話しできますか?>
◇ ◇ ◇
通された広々としたリビング・ダイニング。ゆったりとくつろげるソファ。午後の日差しが差し込む。俺は勧められるままに腰を下ろした。ただし腰を庇って慎重に。母親は坂口春香と名乗った。旧姓だそうだ。四十の中頃ぐらいだろうと考えいたが、三十前半ぐらには見える。アンチエイジングにそれなりに金をかける余裕があるのだろう。やや艶めかしさが肌の色に差す。
座る彼女の背後に置かれた書棚はインテリアなのだろう。美術書やハードカバーが置かれ、タイトルはアルファベッドだ。並ぶ本の高さの不均一さにこだわりを感じる。一角にフォトフレームが二つほどある。今朝の件を伝えながら、ぼんやり眺める。赤ん坊だったり、幼稚園のかわいらしいセーラー服を着ていたり、ランドセルを背負って校門の前に立っていたりする。どれも吉川アリスのものだとわかった。
「娘は吉川を探すようにあなたに頼んだということでよろしいですか?」
「そうです。随分思いつめたご様子でした。法律が無ければ、依頼を受けたいぐらにです」
「知らせて下さってありがとうございます。私としては吉川に合わせたくはありません。病気のこともあります。助かりました」
「ご病気なんですか? 娘さん」
「ええ、あの子は現在、F型免疫不全症で、無菌状態の部屋から出ることが出来ません。小学校3年の時に発病しましてね。今も病院の特別室で暮らしています」
その言葉で写真が小学校低学年までのものである訳が理解できた。
「それなら、なおさら、吉川さんに合わせてやって下さいませんかね」
坂口は美しい顔にブスっとした不満の表情を一瞬はっきりと浮かべた。
「いえね、坂口さん。私は娘さんの依頼を受けれませんが、せめて吉川さんに合わせてやれないかと思って訪ねてきたんです」
「それは出来かねます。娘はもう吉川に合わせる気はありません。新しい父親もいます」
「でも、それは実の父親ではないでしょう? まだ再婚もされていない。そして病気の療養中なんですよね」
「病気は関係ありませんし、まだ富岡と籍を入れていないことも、血のつながりが無いことも問題なくなります。育ての親が本当の親になるものです。なるべきです」
「貴方がそれで良くても、娘さんはどう考えると思いますか? ただでさえ、病気でつらい時に」
「教育方針です。余計な心配はしないでください。アリスもすぐに本当の父として慕います。私の娘ですから」
「貴方とは話が合いませんな」
自分でも声に怒気が帯びるのを止められなかった。
「ええ、私もそう思います。お引き取りください」
俺は腰の痛みと憤りを堪えながら、そうそうに坂口春香の家を後にした。
2016/07/03 初版公開
2016/07/17 改 訂 坂口の家を後にした を 坂口春香の家を後にした。に変更2016/08/07 改 訂 「F型免疫不全症で」と病名を記載
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