Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

歌舞伎町のあいどる。ネットは広大

■日記-歌舞伎町
 土曜日は昼から起きだして。ざる蕎麦が昼食。スポーツクラブか、都内を歩くか、表参道で珈琲を嗜むか(といってもスタバだけど)悩んだ末、後者二つを決め切れないまま出かけて電車に乗る。結局、ブログで公開している「女子高生には向かない職業」で出てくる探偵社が入ってる設定のビルがまだ残っているか確かめに職安通りに向かう。場所は山手線の内側にあり、JR新宿駅から向かうと、歌舞伎町を通り、ラブホテル街をかすめる。職安がこんな位置にあるってだけでいくつか物語が思い浮かべれそうだ。ビル自体は雑居ビルでそこそこ混沌としている。この変の雰囲気はシーン3で盛れればと思う。なので詳しくはまたの機会。
 
 この後、食事友人と連絡が付いたので四ツ谷まで歩き、待ち合わせ時間に間に合わないのでお茶の水までは電車に乗った。サイゼリヤでおしゃべりしてから、秋葉原まで歩き、父のためにUSBのWi-Fi子機を購入。大阪王将で夕食を食べて帰宅。翌朝の体重は中華を外食にした割に減っており一安心。

 日曜日は別段なにするでもなくダラダラiTunesで音楽を聴いて適当にネットの記事や掲示板を眺めて過ごす。夕方なのかお昼なのか分からない中途半端な時間に税金を納めにコンビニ。帰宅してからはまた同じ様な調子。今日はスポーツクラブとカラオケに行きたかったけど神経を休める日になりました。

■読書-あいどる
 「社会学がわかる辞典」は読了。江國香織「真昼なのに昏い部屋」は(やはり)不倫を書いた小説だった。彼女や不倫相手の社会に対する立ち位置は分かるし共感もあるのだけれど、そこにいて感じる自由を僕は幸せとも、不幸とも思わない。そういう性質のものと考える。なので奥泉光先生の解説にある捉え方には納得できない。あるいは「教師的役割」をする人間は時に導かなくて良い場所に人を導くように思う。信田さよ子「カウンセラーは何を見ているか」を読み始めた。ギブソンの「あいどる」の再読を平行しようかと何項か進めている。

■戯言-ネットは広大
 あらゆるものが適応と淘汰の中にいる。僕の意識は外的環境と自らの欲求に適応しながら自信の生存を図る。そのために肉体に備わった器官である。人間の欲求を一般化したものと社会が個人に要求すると個人がくみ取るもの。これを一般化したもの。加えて日本人の類型的価値観や性格。三つの連環について考えたいんだけど。結構自分の頭の中にあるインデックスでは手詰まり。「ネットは広大だわ」っていいながらググりましょうか。 

 オープンにアクセスできる学術論文のDBとかあったのを記憶しているのでそれを探すか・・・。類型は個々人を理解する雛型として役に立つだろうし、また個々の類型が成り立つ背景を知っていると、誤らずに他者を理解できるんじゃないだろうか的なこと考える。また目の前の個人を理解する道具とは別に、社会を理解する道具にもなりそうだ。

 と風呂敷は大きく広げたけど、実際こっからさきに進むのがとーーーっても難しいのが想像付きます。逆にドンピシャな学問があっても僕、記憶力が人より弱いのでなんともですな。

 

 

真昼なのに昏い部屋 (講談社文庫)

真昼なのに昏い部屋 (講談社文庫)

 

 

あいどる (角川文庫)

あいどる (角川文庫)

 

 

攻殻機動隊 (1)    KCデラックス

攻殻機動隊 (1) KCデラックス

 

 

攻殻機動隊 (2)    KCデラックス

攻殻機動隊 (2) KCデラックス