Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

エルフ、都内を歩く、戯言

 ■エルフ
 昨晩は Second Life 九龍SIMの砂場に居たのですが、友人のアバタークリティカルヒットだったので載せます。耳の長いエルフなんですがピアスがパンキッシュ。セーターを着ていて弾いている琵琶がマンドリンのようです。アーバン・ファンタジーなエルフ。あるいはシャドウランのランナーじゃないエルフの市民ってこんな感じかなと思って見てました。

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 ■都内を歩く

 土曜日は田町駅の東口を振り出しに歩き、浜松町駅内を抜け。芝大門、増上寺。そこから日比谷通りを北上しました。Hibiya Cityの地下に休憩所を見つけ休んだり、ブリックスクエアを覗いたりしながら、東京国際フォーラムを横目に八重洲ブックセンター。そこのカフェでもう一回休憩。そして三越前、神田、末広町。万歩計の記録によると17km歩いてました。自分でも結構歩いたと思います。

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  ■戯言1

 万人が万象に対してその賢明さを発揮できるようには思いません。人間の知性には限界があります。自分の理解できない価値観やあり様を自身と比較した優劣、気持ち悪いとか、あいつは駄目だとか、批判しても仕方ないと思います。全てに対して賢明であることを志向するのは各個人の人生の最適解とは言い難いとも思います。「人間は自分の理解できないことを嘲笑するものだ」とゲーテは言います。まぁ嘲笑とは限らないでしょうが、人はそうやって理解する範囲を限定することで、合目的にある特定の成果を人生に期待するものです。

 その上で、でもやはりそれで構わないとも思います。これは社会的な思想の分業と考えます。「理解出来なことには口をつぐむべき」と思うこともあるのですが、社会的には各々が各々の自らの立場で理想と批判を展開することが必要と思いもします。政治的な言説をブログに書くことはする気はまったくなく、個人的には「社会」に関する考察を開示するものうっかり行うのは怖く感じます。これは自らの無知、無察を自覚してのことですご容赦ください。なので一旦ここで切ります。

 ■戯言2
 自分で許容できる方向性で社会について書くなら、人間性を阻害しない思想も社会もないと考えます。人間性というのはその善の部分のみを指して言うのではなく、悪の部分も含みます。社会を前提とした場合、確実に「悪」となるものもあれば、時代的、地域的につまり文化的に「悪」とみなされるものもあるわけですがどちらも人間性です。素のままの人間性の疎外。それに対する個々人の発散や昇華というものは文化の出自の一つでしょうか。この論も進めると自分の無知をいろいろ発掘できそうですな。