Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

休日日記と戯言日記

■休日
 朝から散髪。そしてその足で渋谷。食事友達と渋谷のサイゼリヤで昼食。喋って別れて早々に最寄駅。そこでコーヒーを飲んで本屋によって何か買いたい気分だけ味わって、際限なく買うと自炊が大変と思いとどまった。
 結局、TSUTAYAでシャーロックの1stシーズンの1話を借りて帰宅。カーパンバッチの頭が程よくおかしい「変人なホームズ」を満喫。こういうキャラ好きだわ・・・。

■戯言
 捉えることはそれそのものがある特定の成果を重点的にあげることに本質にしている。その上で他の成果を上げやすくすることも視野に入ってくる。そういうものなのだろう。言葉で事象を分けて捉える以前から生命の知覚器官は内的な欲求で無判断に行き当たりばったり動くことではなく何か外界を分別して成果を上げようとする。外界の熱に反応して移動することで、捕食対象に近づくことができたり、捕食者から逃れたりと言った風に。

 言葉で捉えることもその例に漏れなかろう。あえて名前を付けることは他のものと分かつべき特別な対象であることの証明である。言葉の特徴的なのはそれが意識が捉えるという点であり、人間は自ら言葉で思考することで、身体的な快不快から離れて自ずから上げるべき特定の成果を選択できる。

 こう考えると個々人の考えというのは生存に対する適応の戦略とも考えられる。そして人間は状況に応じてその考えを使い分けることで適応の方法を選択できるのである。となると一つ一つの捉え方は何かしらの「適応の戦略」と評価可能なのではないだろうか。多くの人は自らのそれをそのようなものとは自覚していないであろう。思想を問題にするならば、言葉で紡がれる意識の上のモノである以上、意識にとっての戦略であろう。夢と同様に無意識の検閲を受けているのではないだろうか。

 この観点を適応できる先をいろいろ探して思考を整理するのが次のステップではあるのだけれど、あんまり目新しい「思いつき」が生まれていなくてちょっと残念に思う土曜日。