Lesaria の Multiple-Choice

最近、本買いログがメインになっています。たまにPCやガジェットに関して記事にします。

クラブの流れ、死すべきか生きるべきか

■クラブ

 日曜日に父のリハビリっぽい何かの付き添いで駅近くのスポーツクラブの一日体験コースに参加。プールで泳ぐ父をほったらかして、機械運動のコーナーへ。40分ほど運動してから始まったヨガ教室でヨガ。そして帰宅。今日は引き落とし口座の番号を控え、身分証明書を持ち、判子を携えそのスポーツクラブへ行く。そしてうっかり入会して帰ってきましたよ。結局「フラストレーションリソース」は体を動かすのに使うことにしました。1時間ほど運動した後、気持ちいいことこの上なしです。前から言っていますが(ここで書いたか記憶にないけど)一人カラオケをこれに加えれば、リフレッシュは完璧かもしれません。僕の場合、根本にあるのが「運動不足」であるようなので、ここが落とし所だったのでしょうね。

■流れ

 今日一日の流れとしては、起床、朝食、二度寝、昼食、友達とお茶、スポーツクラブ。そして帰宅です。この三日の時間の流れを緩やかに感じており、よく寝ている割には充実して過ごせました。帰宅後は裁断した書籍をスキャニング。タブレットにデータを移して読む準備は万端です。とはいえ、積読のスタックが電子積読のスタックに移動しただけでございます。読書としては何も進んでいないのですが、またポチリました。スティーブン・ピンカーの『心の仕組み』上下です。いや興味があるので買う。買うけど読む時間がない。積読増える。また買うの繰り返し。それらの本を気が向いたときに取り出したくて自炊しています。電子書籍にしない理由はまた今度。いや前に書いたっけ??

 

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

 

 

■生きるべきか死すべきか。

 今日頭をめぐったのは結局、考える主題は「如何に生きるべきか」という方向に向かうということ。これはいたって普通の再確認。考える人には生きるという前提がある。はなから生きる選択をしていないのであれば、生きる算段をするより、死の算段をすればよい。それはいたって実際的で物理的である。哲学ではないだろう。死の作法として美意識に哲学性を持ち込むことはできるだろう。ただここまで考えて生を「何のために命を費やすか」だと考えるのなら、「何のために死ぬか」という死を据えた生き方を提示できることに気がつく。だけれどこれは、生を何かに費やすということなので、先ほど提示した意味での「死」とは質的に違うだろう。「生を何かに費やす」という意図で「如何に死すべきか」というのは「生きる」ことの選択であるので「生」に意味を見出しているといえる。なので「如何に死すべきか」と「如何に生きるべきか」というのはその文意が持つモーメントの違いはあれど、「生」を選択しているのだのう。と一人納得。


■最後に個人的なメモとして欲しいなと思っている本のリンク。

精神分析の方法 セブン・サーヴァンツ (りぶらりあ選書)

 

精神分析の方法〈1〉セブン・サーヴァンツ (りぶらりあ選書)

精神分析の方法〈1〉セブン・サーヴァンツ (りぶらりあ選書)

 

 

精神分析の方法〈2〉セブン・サーヴァンツ (りぶらりあ選書)

精神分析の方法〈2〉セブン・サーヴァンツ (りぶらりあ選書)