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Lesaria の Multiple-Choice

とりあえず、日記がメインのはず。最近では、小説を公開したり、聴いた音楽や考えてることについて話してます。

三連休の思索 〜フラストレーションリソース〜

哲学&思索
■序:フラストレーション
 この週末「フラストレーションリソース」という言葉を考えた。心理学では既にコレを指し示す言葉がありそうではある。僕の考えではニーチェの言う「ルサンチマン」に近い。ただし僕の仮説では、心的エネルギーとしての「ルサンチマン」は「フラストレーションリソース」が変化したものであり逆ではない。とりあえず正しい用語も知らないので仮に名前をつけた。逆に似た概念にフロイトの「リビドー」という言葉がある。こちらは性欲であるが、精神エネルギーとも解される。後者の意味で使うなら「フラストレーションリソース」は「リビドー」の一種である。
 
■破:すっきり
 この言葉は単に僕がフラストレーションを処理せずにいると他人や自分を非難したくなる。あるいは自分を誉めたくなる。このこと気づいてその精神活動をもよおすエネルギーに名前をつけたってだけの話だ。以上のような方向で「フラストレーションリソース」を使うと確かに「ルサンチマン」に基づくような価値観を生みそうとも考える。忘れていたが、他にも体をやたら動かしたくなる。そこで実際体を動かしたり、ストレッチをしたりしてみた。リソースは無くなって、心も体もスッキリした。
 
■急:転倒
 まぁ一応、小難しく考えてる人が簡単な事に気づく話として落とした。だが、そうしておいてなんだけれども、心を考える上では大抵の精神エネルギーはなにかしらの具体的な処理方法があるんだろうとは考える。それを本来の用途から転倒した目的で使うことに文明だったり、文化だったり、社会だったりの本質があるのかも知れない。そう考えるならあながち逆に転倒でもないのだろう。自分にフラストレーションを与えている環境なり人物、場合によっては自分を含めてを否定する思考は、その状況をひっくり返すモチベーションになるだろうから。ここから「しかし現代人はそのフラストレーションから逃れられない」という考察をするのも楽しかろうが今日はこの辺で。