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Lesaria の Multiple-Choice

とりあえず、日記がメインのはず。最近では、小説を公開したり、聴いた音楽や考えてることについて話してます。

アジアン、部下の心得。そしてフィルム。

注)9/15「アジアン・インプット。コストのストレスそしてフィルム」から改題しました。

※写真は14日に早稲田で見かけたお神輿。これは僥倖

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  三連休の始まりは、朝から二度寝。昼食にお蕎麦。足の捻挫が治ったばかりの茶飲み友達。彼の車で出かける。お茶といいつつ31でアイス。本屋を冷やかし帰宅。本日は食事友達と神保町をスタート。九段下、靖国の前を右折して神楽坂。少し下って牛込神楽坂駅の近くでアジアンビュッフェ。食べすぎたので歩くことに。早稲田を横切り高田馬場サイゼリヤでだらだらして帰宅。

 仕事をしていて最近、頭に浮かんだのは、道具として見られているんだな。ということだ。断っておくが、上司はとてもいい人だと思う。ここで話したいのは会社が悪い。とか社会が悪いという話ではない。もちろん上司が悪いなんて話ではない。ただ人間という属性を持った道具として扱われている。何というかそう感じてしまった。そもそもインプットとアウトプットに着目。ある程度安定した速度で仕事をこなす。これが求められている。これらの能力をコンスタントに発揮させるのに「手間はあまりかからない方がいい」。

 部下を持つというのは仕事の進捗やコストとは別にこれらのことを管理することでもある。沢山の部下を持つほど個々へ個別の対応なんて出来なくなる。だから、やはり「手間はあまりかからない方がいい」。だけれども人間として部下を見ない上司は人望を得られない。上司は管理とは別に自然な人間関係の構築を試みる。これが上手いと部下は人間として扱われているように思う。そんな時上司は部下に心も開いている。ただし部下が上司にとって一定以上の手間が掛かる時。つまり上司にとってストレスある存在である時。上司は部下を管理するために自分の感情がこもらない。あるいは感情と裏腹であるような社会的に適切な言葉で諭したり、指導したりする。(あるいは怒る。)こんなとき部下は上司との情緒的繋がりより、管理されてる事による本質的よそよそしさに気がつく。場合によっては自分が「道具」である気がする。

 つまり、部下がある一定以上の基準に至らない場合は絶えず道具として扱われているように感じる。笑顔の一枚下に何かあることを感じる。それをあまり感じない時、部下は上手くやっている。少なくとも上司にストレスを与えていない。上司も人間なのでそもそもイライラしがちであったり、プライベートで問題が起こり不安だったり、仕事が忙しくて部下に対する許容力が低下してたりする。部下は上司のこのような人間的部分を受け入れるべきだ。上司が部下を道具としてだけ見ないように心掛けるべきであるように、部下も上司を自分を管理するだけの道具としてだけ見ないように心掛けるべきだからだ。そして自分を管理する人間に道具としてでなく見てもらうためには彼らに近い位置まで何かしら登らないとならないのだろうな。てなことを今日は考えてました。世の中、上司の期待する水準がそもそも妥当でないこともありますが。

 それからMeMO PAD7 ME176をNASENで利用したレビューのまたまた補足。ME176からだと、NASNE ACCESSからの検索結果にNASNEが返りません。これは9/25のNANSE本体のファームウェアアップデートで可能になるお外からSTREAM配信を受けるのに致命的です。ME176でも使えるように対応してほしい(T^T)。そして前回、貼ったフィルムで文字の輪郭がにじむと書きました。ですが時間が経過すると気にならなくなりました。それは僕の慣れではなくどうやらフィルムと液晶の表面が馴染んだからの様子です。